行き過ぎた謝罪はただの自己満足だよね、という話。

今日、職場でミスをしました。

同僚と約束していたミーティングをすっぽかしてしまったのです。

もちろん、手帳に予定は書き入れていました。けれど、なぜだか明日のことだと思い込んでいたのです。

今日は予定がないと勘違いした自分は、約束の時間の間外出を入れていました。

そして意気揚々と帰ってきたところ、その同僚から

「今日ってミーティングの約束をしていなかったっけ?」

と尋ねられ、そこで初めて自分の過ちに気づく、といった顛末です。

とにかく謝りたおす

気づいてからはもう、ひたすらに謝りました。
100-0で悪いのは自分。まさに平身低頭の貞で謝罪します。

幸いなことに、多少は気心が知れた仲であったこともあり、

「そういうこともあるよね、また明日以降にしよう」

と、さらりと流してくれました。
(あらためて書き出してみて思う、なんて心が広いのだろうか同僚よ)

ひとまずちゃんと謝れたし、気持ちを切り替えよう。その時はそう思いました。しかし、帰り道にはたと気づきました。

謝罪したことで自分は満足した。けれど謝られた相手はどうなんだ、と。

謝るということ

「ごめんなさい」

そう発言した時点で相手に二択を迫っているのではないだろうか。

つまり「許す」or「許さない」ということ。もちろん、一回だけであれば答えを出さずにその場を濁すこともできる。

だけれども、今日の自分のように何度も何度も謝られたらどうだろう。

「ごめんなさい(と、謝っているから許してほしい)」

と何度も言われるのは正直、きつい。
今回の場合、それを周りに他の人がいる中でしてしまったわけだ。

そんな状況だったら、自分がどんなに腹をたてていても大抵の場合「許す」を選択するだろうと思う。

謝罪=許してもらうためにするものではない

謝罪することで、申し訳ないという気持ちを相手に伝える。これは当たり前のことだと思います。

だけども、自分にできるのは謝罪の気持ちを伝えることだけ。その先の「許す」「許さない」は相手の問題。

そこを今日の自分は勘違いをしていました。自己満足だったわけです。

結局、謝罪した結果に関わらず、その後の行動で挽回するしかないですよね。

そんな当たり前のことにいまさら気づいた日でした。

まとめ

誠心誠意、謝ることは当たり前のこと。けれど、相手から許してしまうことを期待してしまった。
アドラーが言うところの「課題の分離」ができなかった、ということかもしれません。

↑最近読んでわかったつもりになっていましたが、まだまだですね…

正直これを書いている間、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。というか自分の浅はかさにちょっと吐きそうでした。

ですが、自戒の意味を込めて今日の出来事はここに残しておこうと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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